グループの歴史

東京海上グループは創業以来、関東大震災、敗戦といった幾多の難局を
グループの総力を挙げて乗り越えてきました。
どんな時代にあってもお客様の信頼をあらゆる活動の原点におき、お客様や社会の「いざ」を支え、
新たな一歩を踏み出す挑戦の応援に向きあってきました。

「いざ」を支える挑戦 いつの時代も原動力は人の力

  • 日本初の損害保険会社、創業からの海外展開

    日本初の損害保険会社として「東京海上保険会社」を設立し、日本の近代化に貢献してきました。翌1880年にはロンドン・パリ・ニューヨークで元受営業を開始。創業当初から世界を視野に入れた事業展開をしてきました。

  • 業績改善に尽力した若手社員

    1890年に海上保険の本場・英国に3ヵ所の代理店を設置したことで、1891年には海外での船舶保険料収入が全保険料収入の50%を超えるまでに急成長。しかし、リスクが高い物件を多く引き受けたことで収支が急激に悪化し、1894年には経営危機に。入社4年目の各務鎌吉や入社間もない平生釟三郎ら、若手社員による英国での契約内容の一からの再精査を経て、数年のうちに業績を回復させることができました。

  • 日本初の自動車保険誕生

    国内に車が1,000台ほどしかなかった時代に自動車保険を発売。戦後のモータリゼーションに向きあい、現在では国内における契約はグループ全体で1,500万件を超えるまでに成長しました。

  • 関東大震災への対応

    関東大震災により多くの人命と財産が失われました。当時の火災保険では地震による損害は補償の対象外でしたが、損害保険各社は被害者に見舞金をお支払いしました。見舞金のお支払いに際して、他社が政府の助成金を受ける中、東京海上火災保険は健全な財務基盤を活かし、業界で唯一、自社でお支払いを完了しました。

時代の変化に対応し、事業規模を拡大してきた歴史

  • 敗戦からの復活

    戦争によって、海上保険市場は縮小し、戦後4年間の正味保険料も、終戦前に比べおよそ40%にまで下落。こういった状況の中で東京海上火災保険がとった対策は、火災保険に注力することでした。海上保険だけに頼らない柔軟な戦略により、戦後の逆境を乗り越え、業績を回復させることに成功しました。

  • 賠償責任保険の発売

    事故があっても「被害者は泣き寝入り」というケースが多かった当時、適正な賠償意識を育て、妥当な賠償水準を作るという社会課題の解決に向けて、日本で初めて賠償責任保険を発売しました。

  • 自動車損害サービスセンターの設置

    東京海上火災保険は、自動車保険の契約拡大に伴って急増する事故に対応できるよう、1970年に自動車事故を専門に担当する自動車損害サービスセンターを開設し 、お客様との接点を強化してきました。

磨き上げてきた専門性・蓄積してきたノウハウで画期的な商品を開発

  • 人身傷害保険の発売

    自動車事故の際、自身に過失割合が生じたり、相手方が無保険である場合など、必ずしも十分な補償を受けられないケースがあった中、事故で契約者の被った損害を全て補償するというコンセプトで人身傷害保険を開発。日本初の商品でしたが、今では自動車保険のスタンダード商品となっています。

  • 生損保一体型商品の誕生

    コンサルティングを通じ、お客様を一生涯にわたって生損保両面からお守りすることをコンセプトとして、生損保一体型商品である「超保険」を開発しました。「バラバラでわかりづらいさまざまな保険を、ひとつにまとめる」という、お客様本位の発想から生まれたこの保険は、商品魅力の向上と販売システムの改良によって、お客様からの支持を増やしてきました。

  • ちょいのり保険の発売

    「必要なときに、必要な日数分だけ、いつでもケータイで手軽に加入できる」を商品コンセプトにして、1日自動車保険である「ちょいのり保険」を業界で初めて発売開始しました。

国内外に広がるネットワーク、バランスの良い事業ポートフォリオへ

  • 海外保険事業の拡大

    東京海上グループは、2008年に英国のキルン社、米国のフィラデルフィア・コンソリデイティッド社を買収し、欧米市場において本格的な事業展開を開始しました。それ以降も海外での成長機会を求め、2012年に米国のデルファイ・ファイナンシャル・グループ社を、2015年には米国のHCCインシュアランス・ホールディングス社を買収しました。これらの会社は成長性と収益性が高く、また既存事業とのリスクの重複が少ないことから、東京海上グループの資本効率の向上と利益成長、安定的な経営基盤の構築に貢献しています。