報道の自由を支える海外のジャーナリズム向け保険

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2026年5月13日

スウェーデンは、1766年の「報道の自由法」により、世界で初めて報道の自由を憲法に明記した国となりました*1。この法によって、ジャーナリズムが権力に対して不可欠なチェック機能を果たすことが正式に認められました。それから2世紀半、この理念は世界各地に広がりました。ところが、国境なき記者団による2025年の世界報道の自由度指数によると、調査対象180カ国中、44カ国で報道の自由が「満足」の水準にあるとされていましたが、わずか数年で35ヶ国に減少してしまいました*2。そして報道の自由の問題が「非常に深刻」と評価された国は、31カ国から42カ国へと増加しました。こうした状況の悪化が見られるのは、独裁国家だけではありません。

新たな形の検閲

現代の民主主義国家において、ジャーナリズムへの弾圧を、軍隊的な命令により行われることはめったになく、法的文書の形でやってきます。市民参加に対する戦略的訴訟、すなわちSLAPP(スラップStrategic Lawsuit Against Public Participation)訴訟は、裕福な個人や企業が報道の弾圧のために用いる一般的な手段となっています。

スラップ訴訟は、必ずしも勝訴を目的とするものではありません。資金を枯渇させ、ジャーナリストとその組織を疲弊させ、最終的に報道をやめさせることが目的です。確かな内容の報道であって事実が検証されている場合であっても、訴訟の防御に要する費用は、小規模な出版社や独立メディアにとっては、甚大ものとなりかねません。

スラップ訴訟の利用は増加傾向にあります*3。欧州反SLAPP連合(CASE)によると、欧州で提起されたスラップ訴訟は、2022年には161件、2023年には166件に達しました。2010年以降、欧州全体で合計1,049件のスラップ訴訟の存在が確認されています。

最近の事例では、あるオリガルヒ*4が英国に資産を持ち込み問題あるテクノロジーに投資しているという案件について、調査報道会社2社が、公益性のある事案として取材を行っていました。このオリガルヒは、両社に対してスラップ訴訟を起こし、公表の差し止めを求めました。
訴訟は法廷で争われ、裁判費用も次第に膨らんでいきました。訴訟が進むにつれて、裁判所側も、名誉毀損に対する正当な要求ではなく、記事を発表させないための訴訟だと認識するようになりました。最終的にオリガルヒは訴訟を取り下げ、調査内容が報道される結果となりました。

訴訟の終結まで耐えられるようにジャーナリストを支える仕組みがなかったら、この記事が日の目を見ることはなかったでしょう。そして、この件が世間に知られることもなかったことでしょう。メディアの賠償責任リスクカバーする専門職業人賠償責任保険がなければ、訴訟費用が原因となって、報道を断念せざるを得なかったことでしょう。憲法上の保護規定によって報道の権利は保証されていても、その権利が脅かされたときにそれを守るための資金までもが保証されるわけではないのです。

ジャーナリストや報道機関は日常的に、自社を存続の危機にさらすだけの意義が記事にあるのかどうか、自問することを余儀なくされています。訴訟になった場合に対抗する余裕があるのか慎重にならざるを得ないのです。記事が報道されないケースでは、内容が真実ではない、あるいは重要でないからという理由ではなく、報道に伴う金銭的なリスクが高すぎることが理由となっているのが現状です。

ほぼすべての民主主義国家が、憲法で報道の自由を保障しています。その一方で、個人が名誉毀損から自らの評判を守る権利も、憲法で認められています。裕福な個人や企業は、この緊張関係を逆手に取り、名誉毀損訴訟などの法的な仕組みを、ジャーナリズムを弾圧する武器として用いることが可能です。複雑で訴訟が活発に行われる法制度においては、事件の価値とは関係なく、訴訟の防御費用は、正当な報道を黙らせるのに十分な金額となりうるのです。

ウォーターゲート事件から#MeTooまで

ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインがウォーターゲート事件*5を追及したとき、ホワイトハウスは彼らの主張を否定し、記者としての信頼性を攻撃し、新聞社のオーナーに報道を中止するよう圧力をかけました。法的にも政治的にもリスクは大きく、ワシントン・ポスト紙傘下のテレビ局の認可も危うくなり、そして新たな記事が出るたびに、名誉毀損で訴訟される可能性が見え隠れしました。それでも、こうした脅威を乗り越えて行われた報道は、大統領の辞任へとつながり、政治の説明責任に対する米国人の見方を変えることになりました。

それから数十年後の2017年には、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーがニューヨーク・タイムズ紙でハーヴェイ・ワインスタインに対する取材調査を行い、さらにローナン・ファローがニューヨーカー誌に記事を出したことで、秘密保持契約と法的な弾圧によって強化されていた障壁が打ち破られました*6。記事が公開されるまでには、数カ月に及ぶ調査とファクトチェックが行われ、また報道機関は、ハリウッドで最も権力を持つ人物の一人であるワインスタインから訴訟される可能性に対峙する覚悟が求められました。

こうした事件でジャーナリストたちが成功したのは、圧力や脅迫に屈することなく調査をやり遂げるための制度的な後ろ盾、法的支援、そして資金があったからです。こうした制度的支援を構成する重要な要素の一つが、保険です。メディア向けの専門職業人賠償責任保険は、名誉毀損、プライバシーの侵害、著作権侵害、ライセンス違反を含む「無形のリスク」をカバーします。保険に加入することで、メディアは、訴訟が提起された後の金銭的な補償を得られるだけでなく、報じねばならない事件の追究を安心して行うことができます。

この保険のプロセスが機能するためには、慎重なリスク評価が求められます。制作会社や出版社が物議を醸す可能性のある案件を抱えるメディアから依頼がなされた場合には、保険会社はメディア専門の弁護士との緊密に連携し、リスクを評価します。名誉毀損のリスクや、プライバシー侵害の懸念に適切に対処しているか、そして責任ある報道の基準を満たす報道活動であるかどうかという点について、詳細な意見が提供されます。法的な審査は、保険会社にとってリスクがカバー可能かを見極める助けとなるだけでなく、報道そのものの質を高める役割も果たします。すなわち、記事内容が事実に基づいていること、反論の権利が適切に与えられていること、そして異議申し立てがなされた場合にも対抗可能なことを確実にするものです。この枠組みは、報道の自由と名誉の保護とのバランスを強化するものであり、その結果、力のある利害関係者に対する調査が可能になると同時に、正当なジャーナリズムを裏付けのない報道とは区別する基準も維持されます。

調査報道ジャーナリズムの存続を守るために

権力に挑むジャーナリズムの存続は、制度上のサポート、法律面の専門能力、リスク管理、そして金銭面のリスクの移転、これらが織りなす複合的なエコシステムによって支えられています。英国のBBCやチャンネル4、フランスのル・モンド、米国のニューヨーク・タイムズといった欧米の大手の報道機関は、通常、制作会社に対して、取材内容を公表する前にE&O保険(Errors&Omissions 専門的業務賠償責任保険)への加入を求めています。この保険の加入を求めることには、いくつかの効果があります。第一に、放送局・掲載媒体が負うべきものではない賠償責任の責任追及が自社に及ぶことを防ぎます。第二に、保険会社が求める法的審査のプロセスを通じて、報道の専門性・適正な基準が維持されることが担保されます。第三に、本来であれば取り組むことが難しい取材調査を、小規模な制作会社でも実施できるようにする仕組みをつくります。

このシステムは完璧ではないにせよ、報道を可能にする役割を果たします。大手の放送局は、名誉毀損で訴訟沙汰になることを望まないため、保険をかけていない調査コンテンツは放送しようとしません。制作会社は、責任あるジャーナリズムの実践を実証し、法的なクリアランスを得ている場合にのみ、保険に加入できます。

スウェーデンの「報道の自由法」の制定から260年が経過した現在、ジャーナリズムを弾圧する手法は進化してきましたが、その動機自体は変わっていません。自由に使える豊富な資金を持つ、力のある個人や企業は、語ってほしくない報道を沈黙させる方法をこれからも絶えず模索するでしょう。こうした圧力を排除するのではなく、圧力に耐えられるだけの強固な構造を構築し維持することが、課題となっています。

筆者:Ros Breese、Tokio Marine HCC、メディア・映画・テレビ担当アンダーライティングディレクター

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