林業の安全を支える「事故防止の仕組み化」
- 社会課題・高度化社会
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林業は、地域経済や脱炭素社会を支える重要な産業である一方、高い労働災害の発生率や、担い手不足といった課題を抱えています。特に山間部の現場は、作業環境が毎回異なるため、安全対策の“型”をつくること自体が難しい状況にありました。
林業が抱える課題に向き合い続けてきた自治体の一つが、岐阜県です。
東京海上グループは、林業分野での前例がない中、保険事故調査の現場で培ってきた事故分析の知見を応用して、林業を支援することになりました。保険による補償にとどまらず、事故を減らす仕組みをつくり、産業を支えていくー “保険+α”のリスクソリューションをお届けします。
お客様の未然防止策を設計する役割を担う。林業の実態を読み解き、ヒヤリ・ハット事例のデータ分析を通して安全対策の仕組み化を構築・実装した。
地域が抱える社会課題にフォーカスして、保険サービスの活用を提案する営業パーソン。森林組合連合会や県林政部が抱える課題を洗い出し、解決のためのソリューション提案をリードした。
地域の基幹産業を脅かす "見過ごされてきたリスク"
森林率81%、全国第2位を誇る「森林県」である岐阜県の姿は、日本の林業が抱える構造課題を象徴しています。
こうした課題から、岐阜県では、森林組合連合会や県林政部を中心に、長年にわたって林業の安全対策に取り組んできました。一方で、事故削減の取り組みは各森林組合や従事者の工夫が中心となっており、ヒヤリ・ハットや事故情報を県全体で共有・活用する“仕組み化”には、まだ発展の余地がありました。
事故を減らしたいという思いは広く共有され、各組合でも工夫を積み重ねていましたが、県全体で取り組みを連携させ、より広く活用する体制を整えることが次なるテーマとなっていました。
前例なき分野と向き合う。林業の安全対策に踏み込めなかった理由
林業振興に力を入れる岐阜県との対話を重ねる中で、課題解決の方向性が次第に明確になっていきました。
「最初は、林業における安全対策の考え方を共有する勉強会から始めました。東京海上グループが事故対応の中で培ってきた、人間工学を活用した事故防止の視点を紹介したところ、『これまでにない考え方だ』と関心を持っていただけたのです」。こう振り返るのは、名古屋損害サービス第一部の米田です。
しかし、ここで大きな壁が立ちはだかります。林業は、工場や店舗と異なり、樹木の状態・地形・天候・作業位置など現場条件が毎回変わる“非定型”の産業であるため、従来の事故防止手法をそのまま適用することが難しく、社内にも十分な知見がない前例のない領域でした。
「正直に言えば、当社でどこまでお力になれるのか悩みました」と米田は振り返ります。
そこで社内の事故調査・リスク分析を担う専門家(東京海上日動調査サービス株式会社(TAS))とタッグを組んで何ができるか検討を進めました。
「定型作業が中心の現場であれば足を運ぶほど気づきが得られます。しかし林業は自然条件が変わり続ける。現場に行っても何に気づけるのかさえ不確実で、どう関わるべきかが最初の課題でした」(TAS)。
そこで私たちは、知ったかぶりをせず、役割分担を明確にして“共に進める”という方針を選択します。——事故のメカニズムの検証は私たちが、検証結果を踏まえた現場での改善指導は岐阜県と森林組合連合会がそれぞれ担う形です。「経験はありませんので、林業の現場を学ばせてください。事故防止に向けてともに取り組ませてください」と丁寧に、率直にお伝えしたことを、誠実さとして受け止めていただき、信頼形成につながりました。「前例がないからこそ、取り組む意味がある」——この考えが、のちにヒヤリ・ハット分析や仕組み化へとつながる、取り組み全体の出発点となりました。
事故を保険で補償するだけではなく、事故そのものを防止する”仕組み”をつくる。保険会社の新たな役割とは何か。その問いから、すべてが始まりました。
約440件のヒヤリ・ハット事例が示した”真の課題”
事故防止の仕組化には、まず実態を正しく捉えること。この方針のもと、私たちは最初に、林業の実態把握に着手しました。
「ヒヤリ・ハット」とは、事故にはならなかったものの、ヒヤッとした(危険を感じた)、ハッとした(気づいて回避できた)という危険をはらむ出来事のことです。森林組合の1つが、数年にわたり約440件のヒヤリ・ハット事例を収集していました。事故削減に積極的な組合でしたが、情報は集まっているものの、収集したヒヤリハットが事故防止に活用しきれていないという課題がありました。
ヒヤリ・ハットについては、本来、事象ごとに原因を分析し、その結果を踏まえた再発防止策を講じる必要があります。しかし、データを確認したところ、再発防止策が「今後注意する」といった表現にとどまり、表面的な対応となっていました。
「『どのように注意するのか』『なぜ不注意が起きたのか』。その点が、現場で深掘りされていなかったのです」と、米田は語ります。日々多くの事故を見ている保険会社だからこそ、事故の真因を深掘りできるのではと考えたのです。
そこで米田は、事故分析で培った“人間工学”や“なぜなぜ分析”の視点を活用し、約440件もの事故を1件ずつチェック、原因を深掘りして対応策を考えることで、事故原因を構造的に捉え直すことを提案しました。“人の特性”だけではなく、設備・環境・管理体制といった複数の観点から事故の背景を探ることで、実効性のある再発防止策が見えてきたのです。
同時に、林業特有の専門用語や工程を正確に理解するため、林業の資料や動画等を徹底的に学習しました。素人がプロと議論できるレベルまで知識を引き上げる地道な努力が、分析の質を高めました。
「従来の損害予防の枠組みだけでは、この課題に十分応えられないと感じていました。ヒヤリ・ハットをどう活かせば事故削減につながるのか。その整理に、いちばん試行錯誤しました」
“保険会社の視点”が、林業の現場に活きた瞬間
米田と専門家によるヒヤリ・ハット事例の分析は、岐阜県林政部と森林組合連合会(岐阜県内の森林組合をまとめ、森林整備や木材流通を支える中核的な組織)から高い評価をいただきました。
全関係者を巻き込んだ、安全対策の“仕組み化”と合意形成のプロセス
安全大会での手応えをもとに、阿部と米田は、岐阜県林政部と森林組合連合会に、ヒヤリ・ハットの取り組みを県全体で活かす仕組みづくりを提案しました。各組合が個別の方法で情報を管理していては、事故の傾向を横断的に把握できない。そこで、共通のフォーマットを導入し、データとして蓄積・分析できる体制の必要性を説明しました。
提案を受け、県と森林組合連合会は、県内19の森林組合すべてが同じ手法で取り組むという決断を下します。しかし、全組合の合意形成は容易ではありませんでした。
共通フォーマットでは、作業内容や天候などの条件を選択式で記録できるよう設計することで、回答データに統一性を持たせました。そして、どの作業でどのようなヒヤリ・ハットが多いのかを可視化することで、「なぜ」を深掘りし、事故が起きた真因に迫れるよう工夫しました。さらに、報告した組合への支援金制度を設けるなど、参加を後押しする施策も講じたのです。
その結果、県内すべての森林組合からヒヤリ・ハットが報告されるようになったという、前例のない成果につながりました。
「保険+α」でサステナブルな林業を
私たちは、「もしも」に備えるだけでなく、「どうすればリスクを回避できるか」に「いつも」応え続けられる存在でありたいと思っています。
岐阜県での挑戦は、保険会社が地域の基幹産業を支え、社会課題の解決に貢献できるという自信になりました。注意喚起に頼るのではなく、保険会社として培ったノウハウを活用し、構造的に再発防止を図る。「個人任せの現場」から「仕組みで守る現場」へと転換することで、安全性の向上と産業の持続性にもつながっていきます。