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私たちの取り組み、
“Good Company”を目指して

People
2015/04/01 up

Vol.1
この経験を忘れない。東日本大震災を経て、今。

東京海上日動火災保険株式会社
東北損害サービス部火災新種損害サービス課
津島 奈々枝 Nanae Tsushima

お客様のために、というあの時の一体感。
私たちの強みの源泉だったかもしれない

東日本大震災当時、仙台の火災新種損害サービス課担当課長だった津島奈々枝。未曾有の災害にぼうぜんとしながらも、チームをまとめ、みんなで乗り越えていく日々を過ごしました。あれから4年経った今、いかなる思いを抱いて仕事に取り組んでいるのでしょうか。

地震直後、上司はすべて外出。現場を仕切るのは私?

その日3月11日はたまたま損保協会主催の地震保険講習会があり、課長も課長代理も不在。当時、上位者だった私が必然的に現場を仕切ることになりました。まず考えたのはスタッフを帰すべきか、留まらせるべきかという問題、そして同時に損害サービス対応のための対策室の立ち上げも必要でした。

他の課のリーダーたちと協議して数々の判断をくだし、既定の部屋にFAXやコピー機を運び入れ、対策室を設営。また、帰宅できない社員や損害の鑑定をする鑑定人や応援社員などのために、エレベーターは止まり、お湯も出ず、エアコンも動かないという状態でしたが、とにかく宿泊施設の確保に奔走しました。

パソコンもコピー機も使えないため、メンバーの連絡先などは手書きでリスト化し、翌日の出社を確認した上で、その日は何とか帰宅しました。

私が津波や原発の被害を知ったのは翌朝。誰かが手にいれた新聞の号外で知り、ぼうぜんとなりました。

窓の外では道路のすべての信号が停止している中、支援のために駆け付けた西日本ナンバーの自衛隊や消防の車が列をなしていました。

このときにはもう、停電で連絡の取れない仙台の代わりに、東京のコールセンターにはお客様や代理店から続々と被害のご報告が入っていました。

お客様の「ありがとう」に支えられて。部門を超えた総合力で乗り越えた!

2日後には東京や関西方面から鑑定人や応援社員が新潟や山形経由で駆けつけてくれました。

電話応対、膨大なFAXの仕分けや書類のコピーなどの業務は、役職や職種を越え、やれる人がやれるときにみんなで行いました。想像を超えた状況の中で、お客様へのご対応がスピーディーにできたのはまさに東京海上グループの総合力だったと思います。

特に忘れられないのは、震災翌日の土曜日のことです。停電の中、お客様のご対応や安否確認の準備を進めていたところに、突然お客様が飛び込んでいらっしゃいました。沿岸部にある会社の経営者の方でした。津波で機械が海水をかぶり、事業継続が不可能だという絶望の中で、一筋の光が私たちの保険だったというのです。当社と連絡がとれないため歩いていらしたとのこと。損害確認には時間を要したものの約1ケ月後には無事に保険金をお支払することが出来ました。保険金の着金日に『ありがとう』とお電話をいただいたときは、本当に嬉しかったですね。あらためて保険の素晴らしさ、お客様の「いざ」というときにお役に立てる喜びを感じました。

日を追うごとに想像を絶するリアルな被害状況が明らかになる中、部門を超えてみんなが「お客様のために」というひとつの気持ちになっていました。

目の前の一瞬をおろそかにせず、より具体的に災害に備える。

震災前も毎年、災害対策訓練は行っていましたが、震災後は対策室の立ち上げ訓練のほか、「社員として、個人としてどう行動すべきか」をみんなで話し合うケーススタディ方式となりました。

マネージャーとしては、お客様にご満足いただける損害サービスの提供こそが一番だと考えます。それには、お客様にご満足いただけることを喜びと感じるメンバーがいてほしいし、私もそれを喜びたい、そんな喜びの連鎖が醸成できる組織でありたいと思っています。そのためには、チームワークはもちろん、健康であることも大変重要だと思います。

震災後は一瞬一瞬を大切にしたいと思う気持ちがより強くなりました。これらは私が仕事をする上でとても大事にしていることです。

復興ボランティア活動に参加。
土中には生活感のある瓦礫が散在

2013年の秋、会社の有志約30名で、公的機関からの申し出で「そばの実プロジェクト」に参加。津波被害にあった農地の再生のため、春にまいたそばの実を収穫するボランティアです。2年半も経過しているのに、土中からはいまだに子どものおもちゃや生活用品が出てきました。そのほかにも、岩手県盛岡市で開催された東日本大震災追悼イベント「祈りの灯火2015」へお届けする「紙パック灯ろう」を作るボランティアにも参加しました。一つひとつは小さな活動ですが、こうした取り組みを続けることで一歩でも前に進めるのではないかと思います。

決して忘れない。
この体験を明日に語り継ぐことを。

東日本大震災を通じて、私たち損害保険会社の社員は様々なことを考えさせられました。「いざ」というときのために日頃から本当に準備していたのだろうか、お客様のお役に立てたのだろうか、という自問自答。一方でまた、地震保険や超保険という商品はお客様にとって日常の生活に戻るためには不可欠なツールだという確信。だからこそ風化させてはいけない。この体験を次の世代に語り継いでいきたい。

私たちは100年後も良い会社“Good Company”であることを目指して、走り出しました。そんな100年後に通じるために、私は今どんな働き方をするべきか、自分の中で考えて仕事をしていきたい。また、自分の行動や発言が、次にどうつながるのかを考えること、こうしたことを全社員が考え次の世代につなげていける会社こそ“Good Company”なのだと思っています。