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東京海上グループの軌跡をご覧ください。

History

1879 創業

1879年、「東京海上保険会社」誕生。
世界を舞台とする「安心」への挑戦がはじまる

時は明治、近代化を目指す政府の殖産興業政策により、数多くの新産業が生まれた。その1つに、当時業績を伸ばしていた海運・貿易業には欠かせない海上保険会社があり、1879年8月1日、資本金60万円をもって日本初の保険会社「東京海上保険会社」が誕生した。同年12月には、釜山浦、上海、香港を含む18カ所に海外の代理店が置かれ、翌年9月には、三井物産のロンドン・パリ・ニューヨークの各支店に欧米での代理店委嘱も行われるなど、まさにグローバル企業としての船出であった。

1894
業績改善に尽力した若手社員

26歳の熱意溢れる努力が、
東京海上のかつてない危機を救った

1891年には、海外での収入が全保険料収入の50%を超える急成長を遂げる。しかし、その実態は業務を委託した海外代理店のリスクを軽視した引き受けによるもので、その後の収支は急激に悪化。経営危機に陥るほどの事態となった。この失敗の原因究明と対策を実行したのは、入社4年目の各務鎌吉と入社間もない平生釟三郎であった。各務はまず、英国での契約内容を精査し、原因を突き止める。そして、当時国内の営業を任されていた平生と力を合わせ、会社の危機を乗り越えることに成功した。

1923 関東大震災

大震災による混乱を鎮めるために
奔走した男、各務鎌吉

1923年9月1日に発生した関東大震災は、多くの人命と財貨を奪っていった。被害に遭った建物の中には火災保険を契約しているものも多かったが、原因は地震にあったため補償対象外。しかし、政府・世論からの意見は「補償すべき」というものであった。そこで、当時保険業界団体の会長を務めていた各務鎌吉は、事態の解決に向け骨身を惜しまず奔走。各保険会社などと協議を重ねた結果、保険金額のうち1割を見舞金として支払うという提案にまとめ、世間の混乱を鎮めるために尽力したのだった。

1945 敗戦からの復活

終戦後の逆境を乗り越える鍵となった
「火災保険」という存在

戦争によって、海上保険などの対象となる物件の多くが失われた。その結果、戦後、海上保険市場は縮小し、東京海上の戦後4年間の正味保険料も、終戦前に比べおよそ40%にまで下落。こういった状況の中で東京海上がとった対策は、火災保険に注力することだった。その背景には、1944年に火災保険の名門、明治火災と合併し、事業の変化に対応できる力を蓄えていたことがあった。海上保険だけに頼らない柔軟な戦略により、戦後の逆境を乗り越え、業績を回復させることに成功したのだった。

1977 保険の大衆化

世の中のニーズに応える
抜本的社内再編

1960年代以降、自動車保険や積立型保険などといった個人向けの保険が増加の一途をたどっていた。そうした中で東京海上は1977年、3年にわたる初の中期経営計画を策定。地域営業を中心とする体制の構築など、市場の変化にも的確に対応できる組織に変わることが目的であった。部門をまたがる人事異動を積極的に行ったほか、社内公募した歌詞によるテーマソングも作成し、社員の一体感を醸成。“GoGo作戦”と呼ばれた一連の取り組みの結果、77年から79年にかけて業績を伸ばしていった。

1991・1995
襲いかかる天変地異

全国各地を襲う天変地異から
人々の「今」と「これから」を守れ

世界中で自然災害が目立つようになり、損害保険の存在感が今まで以上に増してきた1990年代。日本では、91年に長崎県に上陸し日本を縦断した台風19号や95年に発生した阪神・淡路大震災は大きな爪痕を残した。これらの経験を踏まえ、大規模損害発生時に全社をあげて迅速に被害を受けたお客様に保険金支払いができる体制構築を図る一方、巨額な保険金支払いの際の経営上のリスク分散を図るため、多様な再保険の手配や準備金の積み増しなどを通じ、安定的な経営管理体制づくりに努めている。

1996・2002
保険の自由化を迎えて

競争と業界再編の嵐の中、
進化という名の波に乗り続ける

1996年4月に新しい保険業法が施行され、これを機に保険商品について本格的に自由化された。また、子会社を通した生命保険と損害保険の相互参入もできるようになり、同年、東京海上あんしん生命保険株式会社を設立した。さらに、東京海上は2002年、ミレアホールディングスを設立。その子会社となった東京海上と日動火災の両社も04年に合併し、東京海上日動火災保険株式会社として始動。「最高品質のサービスの提供」、「安心感の提供」、「グループ戦略の推進」といった経営ビジョンのもと、新たな一歩を踏み出した。

2008~ 海外事業の拡大

大型M&Aを通じて
「グローバル保険グループ」へと躍り出る

2000年以降、バミューダやロンドンでの再保険事業の本格的な展開や、新興市場へ事業領域を拡大するなど、標榜する「グローバル保険グループ」への道を着実に歩んできた東京海上。そして、08年にはイギリス「キルン社」、アメリカ「フィラデルフィア・コンソリデイティッド社」を買収。さらに12年にはアメリカ「デルファイ・ファイナンシャル・グループ」を買収するなど、大型M&Aを次々と実現。世界の保険マーケットの中心となる欧米市場においても、その存在を高めていった。
その後も、15年にアメリカスペシャルティ保険グループ「HCCインシュアランス・ホールディングス社」を買収、18年にタイ「セイフティ社」を買収、南アフリカ「ホーランド社」へ出資、さらに20年にアメリカ保険グループ「Pureグループ」を買収するなど、海外展開は加速しています。

2011
東日本大震災への対応

経験、知識、熱意、全てを注ぎ込んで
対応にあたった東日本大震災

2011年3月11日14時46分に発生した東日本大震災。東京海上日動は、15時33分に本店災害対策本部を設置。翌12日の早朝からは、先遣隊が支援物資を持参し被災地へ向けて出発した。そして業界で協力し合い、航空写真などを用いた全損地域の認定や、お客様の自己申告のみに基づく損害調査の導入など、早期に保険金をお支払いするための様々な取り組みを実施。阪神・淡路大震災などの自然災害への対応経験を活かし、被災地のために全社員が一丸となって対応にあたった。

真の「良い会社 “Good Company”」を目指して

1879年の創業以来、東京海上グループは、お客様や社会に安心をお届するために、幾多もの困難にも果敢に挑戦し乗り越えてきました。100年先もお客様や地域社会に安心をお届けし、「いざ」というときお役に立てる、真の「良い会社“Good Company”」を目指して、これからも東京海上グループは挑戦を続けてゆきます。

東京海上日動の歴史 東京海上日動の歴史をご紹介します。